日本語を学ぶのは、誰のため?
利根町で、全5回の日本語支援者養成講座を担当しました。
「日本語支援者養成」と聞くと、
日本語の教え方を学ぶ講座をイメージするかもしれません。
でも、今回の講座で大切にしたのは、
「どう教えるか」よりもその前にあることでした。
地域に暮らす外国人は、どんな人たちなのか。
どんなことに困っているのか。
私たちとは、どんな違いがあるのか。
そして、その違いを前にしたとき、
私たちはどう関わることができるのか。
グループワークを通して、
受講者のみなさんと一緒に考えてきました。
初めて会う人と、どう話す?
最終回には、
利根町に暮らす外国人12名がゲストとして参加してくれました。
ベトナム、ネパール、パキスタン。
私にとっても、初めて会う人たちでした。
そして、日本人受講者の中には、
「外国人とゆっくり話すのは初めて」という人もいました。
日本語がまだ十分ではない人と、どんな交流ができるのだろう。
何を話せばいいのだろう。
きっと、お互いに少し緊張していたと思います。
でも、交流が始まると、そんな心配はすぐになくなりました。
あちらこちらから笑い声が聞こえ、話が止まらない。
好きなこと。
自分の国のこと。
家族のこと。
仕事のこと。
気がつけば、予定していた時間があっという間に過ぎていました。
「外国人」と話したのではなく
その日、そこにいた人たちは、
「外国人・日本人」と話していたのでしょうか。
たぶん、少し違うと思います。
ネパール出身の誰か。
ベトナム出身の誰か。
利根町に住んでいる誰か。
そして、日本で生まれ育った誰か。
一人ひとりが、自分の好きなことや、
大切にしていることを話していました。
相手を「外国人」という大きな枠組みで見るのではなく、
目の前にいる一人の人として知っていく。
その時間が、とても自然に生まれていました。
誰にとっても、そんな場所は少ない
考えてみると、
自分にとって大切なことや、好きなことを、
初めて会った人とゆっくり話す機会は、
地域の中にそれほど多くありません。
外国人にとっても、日本人にとっても同じです。
仕事や学校、家庭では、それぞれに役割があります。
でも、そこでは話せないこともある。
ただ一人の人として、
「私はこんなことが好きです」
「私の国では、こんなことがあります」
「私はこう考えています」
と話せる場所。
そんな場所が地域にあることは、
とても大切なのではないかと思います。
日本語を学ぶのは、誰のため?
もちろん、日本で暮らす外国人にとって、
日本語を学ぶことは大切です。
必要な情報を得るため。
困ったときに助けを求めるため。
自分の考えを伝えるため。
でも、日本語教育は、
外国人だけが努力するためのものではないと思っています。
日本人も、相手に伝わるように話す。
分からないことを聞く。
相手の文化や考えを知る。
自分の「当たり前」を少し広げてみる。
そうやって、
お互いが少しずつ歩み寄ることで、
初めて会話が生まれます。
場をつくることも、日本語教育
日本語教員の仕事は、
日本語を教えることだけではない。
私は最近、そう強く感じています。
初めて会う人同士が、何を話せばいいのか。
どんなテーマなら、自分のことを話しやすいのか。
どうすれば、
一方的な
「質問する人」と
「答える人」にならず、
お互いに話せるのか。
そんなことを考えながら、
人と人が出会う場をつくることも、
日本語教育に関わる者の
大切な仕事の一つなのだと思います。
日本語を学ぶことは、
ただ言葉を覚えることではありません。
日本語を使って
誰かと出会い、自分のことを伝え、相手のことを知る。
その繰り返しの中で、
「知らない人」だった相手が、
「知っている人」に変わっていく。
日本語を学ぶのは、誰のため?
その答えは、誰か
一人のためではないのかもしれません。
日本語を通して、
これまで出会わなかった人たちが出会い、お互いを知るため。
利根町の最終回で見た
たくさんの笑顔が、
私にそんなことを教えてくれました。